ももひざだいありー

思い出した時に色々と書きます

「わたぐも」から垣間見える赤城みりあの人柄とその無限大の可能性について

皆さん、こんにちは。この記事ではタイトルの通り、2017年9月13日に発売された『THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTER 13 Sweet Witches' Night ~6人目はだぁれ~』に収録されている、赤城みりあの2曲目のソロ曲である『わたぐも』について主に話題として取り上げ、そこから読み取ることができる赤城みりあのとある性質について触れていきます。とは言っても、私自身は音楽的知識に関しては非常に手薄で、メロディやリズムに関して聞かれても「1番のサビ前が何となく久石譲のSummerみたいでエモいと思いました。」位の感想しか答えられないので、ここでは主に歌詞に焦点を当てて話を進めます。予めわたぐもの歌詞が参照できる状態で本記事を読んで頂けると幸いです。

1.「わたぐも」のコンセプトとは

それでは早速、わたぐもの歌詞が示しているストーリーの概要を今一度確認しておきます。

…みりあには、放課後いつも一緒に帰っている、おそらく同性の友達がいます。しかし、ある日の帰り道、その友達がどこか辛そうに、今にも泣きそうな表情を浮かべていることにみりあが気付きました。その友達にみりあが寄り添い励ます場面を中心に、このわたぐもという楽曲は描かれています。

ここで特筆すべき点は、赤城みりあのソロ1曲目であるRomantic Nowはみりあ自身の心境に対して主に焦点が置かれていたのに対し、この楽曲は専らみりあとその自分自身以外の他の子との交流の場面のみが描かれているということです。ソロ1曲目と2曲目の決定的な差異はまさにこれで、わたぐもという楽曲の核心に迫るにはみりあが同年代の他の女の子とどのように接しているのかという視点が不可欠になります。

2.みりあと他のアイドルの子との特徴的なやりとり

ここで、みりあの人柄が特に顕著に表れている公式での会話を2つ紹介します。

1つ目は、アイドルマスターシンデレラガールズ 1stLIVEのライブビューイングの参加者のみに配布されたTHE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 1stLIVE WONDERFUL M@GIC!!」オリジナルドラマCD(以下、舞浜ドラマCD)に収録されている、みりあと小梅ちゃんのやりとりです。

小梅ちゃんは、みりあに変に思われたくないと思って"あの子"が自分には見えることを内緒にしようと考えていたのですが、ふとしたキッカケで"あの子"の存在をみりあに示唆してしまいました。その後の発言もしどろもどろになってしまい、みりあは小梅ちゃんが何か自分に隠し事をしていないかと勘繰りますが、小梅ちゃんは中々"あの子"のことを告白することができず、更にはみりあにとって自分は変な子だと思われていないかと心配してしまいます。ですが、みりあは積極的に隠し事をしないようにと小梅ちゃんに問い掛けます。

「ねぇ、小梅ちゃん?せっかく血液型も星座もおんなじなんだよ?隠し事とかしないで、正直に話してよーぅ…」

「わたしは小梅ちゃんのこと大好きだもんっ☆だから絶対に変とか思わないよ?」

…みりあの積極的な呼びかけが功を奏して、小梅ちゃんは"あの子"が見えることを正直に告白します。みりあも認識に少しのズレはあるものの無事にそのことを受け入れ、同時に"あの子"が小梅ちゃんに伝えていることもしっかりと受け止めました。そして、二人はドラマCDの舞台中では半ば迷子の状態だったのですが、"あの子"の言うことに従って移動したおかげで事務所の皆と合流した所でめでたく話の大部分は終わりという形になります。舞浜ドラマCDは、全体的にみりあの真摯な態度と仲間を信じる天真爛漫さが存分に現れているお話です。もし興味を持った方がいましたら、友人から借りて頂くか中古で購入するかして是非聴いて下さい。(余談ですが、みりあと小梅ちゃんは「Jumpin'Joker」というユニットを組んでいます。もし知らなかったという方がいましたら覚えて頂けると大変嬉しいです。)

2つ目は、サイコミで連載されているU149第2巻特別版のドラマCDに収録されているみりあと晴の一連の会話です。どのやり取りもかけがえのなく愛おしいものばかりですが、ここは敢えてその中の限られたごく一部分だけを紹介します。

晴は、元々アイドルには自分から積極的になった訳ではなく、アイドルはかわいいヤツがなるものだという考えをこの地点では未だに持ち続けていました。そのことをみりあに伝えた後に、こう告げました。

「オレがなりたいのは、どっちかって言うと…かわいいよりカッコいいだからさ!」

そして、みりあはこう晴に言いました。

「じゃあみりあと同じだね!」

確かに、この発言自体は前後の文脈も連関性もないようにしか客観的には見えません。晴もすかさずなんでだよ!と返します。ですが、先の発言にはある意図がありました。

「あー…う~んとね…好きなものになりたいのは一緒ってコト!」

そうなのです。しっかりと発言の根拠をみりあは持っていたのです。みりあはN特訓前のアイドルコメント、すなわち一番最初の最初の台詞でこのように発言しています。

わーい!! これで私もアイドルになれるんだよね☆カワイイ服を着て、カワイイ歌を歌って、カワイイダンスを踊って…
きっとこれからは、毎日楽しいことがいっぱいだね☆楽しみだなっ! 

 みりあはカワイイ服を着て、カワイイ歌を歌って、カワイイダンスを踊って…アイドルになった動機をこのように語っています。そして今も、デレステの[ポッピン・ハイ☆]赤城みりあなどに顕著に現れているように、カワイイ服を大事にしたいというこの最初のモチベーションを大切にしてアイドルの活動をしています。私は、この「好きなものになりたいのは一緒ってコト!」という発言は、みりあのこの信念の最たる象徴であり、みりあのアイドルとして一番根底にあるものが表象したものであると信じて止みません。

話は若干逸れましたが、この一連の会話には、みりあの確固たる思いと、みりあ自身がその思いを噛み砕いて一生懸命言葉にして、晴にとって自分自身がどのような存在でいたいのかということを、手探りながら、それでもしっかりと決めるだけの意志が明確に表れています。今回の場合は、一旦は晴にアイドルはカワイイやつがなるものだと少しだけ突き放されるような態度を取られましたが、それでも晴はみりあにとって同じアイドルを志す仲間であること、同じ本質を持った目的を目指している同胞であるという思いの丈を瞬時に表現して、晴ともっと親しくなりたいという意志をこの場面で新たにしていると言えます。

さて、ここでは2つのエピソードについて触れましたが、この2つではどのようにみりあの人柄が顕著に表れているのかに関しては、後の項目で詳しく解説します。

3.「わたぐも」でのみりあのキャラクター

さて、話をわたぐもに戻します。わたぐもでのみりあは、歌詞を参照して頂ければ分かる通り、みりあの友達が何故悲しんでいるのかということに関しては自分から触れようとはせずに、ただゆっくりと励ますこと、友達の気持ちに寄り添うことの2つしか行っていません。先述した舞浜ドラマCDでは積極的に小梅ちゃんに隠し事をしないように語りかけているのに対し、今回はやや消極的に映ります。これは一体何故でしょうか。

理由は簡単です。舞浜ドラマCDでは小梅ちゃんが"あの子"の存在を隠していたのは、みりあが変に思うから、すなわち原因がみりあという人物一人の問題であったのに対し、わたぐもでは友達が悲しんでいる原因はみりあ以外のどこか別の所にあり、みりあ自分自身がどうこうした所で根本的に解決できる問題ではないかもしれないからです。みりあは他人に対していつも積極的に働きかけるような人物であると基本的には認識されがちですが、相手によってはやや距離を置いて接することも十分にあり得ます。このわたぐもという楽曲は、まさに後者の、レアなケースを取り扱っているのです。

4.みりあの重要な性質について

以上のみりあの人柄から分かるみりあの特に重要な性質をここで紹介します。それは、U149のドラマCDの話をした時にも少しお話した通り、みりあは他人を目の前にした時に、相手にとって自分がどのような存在でありたいのか、どのような私で、どのようなみりあでいたいのかということを自分で決めるのが非常に優れているということ、言い換えればアイデンティティの確立が非常に完成されているということです。先の舞浜ドラマCDとわたぐもの対比、及びU149のドラマCDでは、まさにこの点が顕著に表れています。そして、みりあのこの性質は、対人交流の場面のみならず、アイドルとして活動する時にも非常によく表れています。そのことは、みりあの一人称を注意して見るとよく解ります。みりあは普段の生活では一人称が「私」の場面が多いのですが、アイドルとして活動する時には、一人称が専ら「みりあ」になるのです。このことが顕著に表れているのが、モバマスで2017の2月28日から3月8日にかけて開催された「アイドルプロデュース きらめきサーカス ~Cirque du Clair~」です。このイベント中、みりあの一人称は専ら「みりあ」ばかりでした。みりあのことが好きな人の中には、そのことに対して不安視する人も少なからずいたように記憶しています。ですが、思い出エピソードの特別編2でその不安は一気に解消されます。サーカスが終わった後に、ふとみりあの一人称が「私」になったのです。

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このことは、一連のサーカスの練習と本番の間、みりあはいつもに増してアイドルとして活躍する「みりあ」であろうとしたこと、そしてサーカスが終わった瞬間、ふとそこに「私」としての日常が戻って来たことを示唆しています。みりあは、アイドルとして活動する時は「みりあ」であろうとするように、仕事と日常生活の切り替えが非常に上手なのです。これも、「自分がどのような存在でありたいのか」の延長であると私は強く思います。

5.おわりに

ここまで読んで頂きありがとうございました。自分自身の考えですが、私はみりあをプリズムのような子だなと思っています。それは、光を差す方向が変わる度に、別の方向へ、別の輝きを得て光を屈折させるというそのプリズムの姿が、場面が異なる度に違った色合いを見せる多様な、無限に可能性を秘めたみりあの個性を強く象徴していると考えているからです。あなたがみりあに積極的に働きかけることによって、みりあは貴方に応えて、みりあは、私は、こんな自分でありたいという思いを何度でも新たにします。赤城みりあをどうか貴方の手で、私と一緒に育てていけたらこれ以上の喜びはありません。赤城みりあをどうか宜しくお願いします。